年の差

4月から始まった大学5年生

 

4年生の時は周りにまだ同級生がいた。

だから5年生になるってことに不安もなかったし、卒業のために頑張ろうって少しは思っていた。

 

そして今

卒業のするために、自分の将来のために勉強してる。

 

けど

 

ふと思う。 今周りにいる子はみんな年下。

バイト先も、ゼミの子もみんな

 

同級生はほとんど就職して、社会人一年目として苦労したり、楽しんだりしている。

 

経済的に、時間にも差が生まれて、そんなはずはないけど独りになっている気がする。

 

 

 

おばあちゃん#2

忘れたくないので書き留めておく

 

高校2年生の2月、おばあちゃんが亡くなった。

 

いつも通り部活を始め、アップを終えたごろ顧問の先生が私を呼んだ。

おばあちゃんが危篤だと連絡が来た。

 

私は今日か、本当に今日なのか、とそんなはずないと思いながらすぐに向かった。

この様子を後日友人から、なんで笑ってたのと言われたことが印象に残っている。

自分でもわからない。

 

施設の個人部屋に向かうとそこには泣き喚くおばさんとその家族、おじさん、自分の家族、その真ん中のベットに寝ているおばあちゃん

 

私はあまり状況をわかっていなく、おいでと声をかける母に従っていた。

 

もう誰が声をかけてもうんとも、すんともいわず、ただ見守っていたそうだ。

 

手を握り、元気なおばちゃんの面影はないその姿を受け入れられないまま、そっと抱きしめて、声をかけた。

 

来てくれたのねと声が返ってきた。

俺がわかる?と会話を続けようとしたが、その後は返答はなく、会社の旅行に出ていた父親が帰ってきた。

 

そこから見守ることしかできず、家に帰され、寝て目が覚めると、おばあちゃんは亡くなっていた。

CUBE

私は乾燥に弱い。

 

というのも自称だが、慢性鼻炎を患っている。

 

もうかれこれ20年以上こいつとは付き合っている。

 

慢性とは言いつつ、私の鼻は秋から春にかけて、乾燥する時期に弱くなるのを感じる。

よく鼻血を出し、鼻はつまり呼吸しづらくなる。

そう言った意味では冬は嫌いだ。

 

その対策として、安い加湿器を探していた。

 

そんなことをふとバイトの社員さんに話したところ、ペットボトルにつける加湿器をくれた。

 

これはCUBEというやつで、結構お手頃で、使い勝手がよく、人気らしい。

 

今晩から早速使い始める。

私の鼻の機嫌が良くなることを期待しよう

 

おばあちゃん#1

忘れたくないので思い出したついでに書き留めておく。

 

死んだおばあちゃんが入院している時の話だ。

 

当時中学生だった私は弱っていくおばあちゃんを見るのが辛くて、受験勉強を言い訳にろくにお見舞いに行かなかった。

 

ある日衣服の交換を母に頼まれ、嫌々ながら病院へ向かった。

 

久々に会うおばあちゃん。弱っているところは見たくない。辛い反面久々だったので少し楽しみでもあった。

 

久々に再開したおばあちゃんら自分が思っていたよりも元気であった。 今思うとそう振る舞ってくれていたのかもしれない。

 

少ない時間だったが、ジュース代としてお小遣いをくれたり、私の話をしたりした。

 

そろそろ帰ろうとするとおばあちゃんから

「今度くる時便箋を持ってきてくれないか」と頼まれた。

なんの気もなしに、いいよと返した

 

今思うと遺書を書くためのものだろう。

当時の私はまだおばあちゃんが死ぬかもしれないなんて思わない。思いたくもなかった。

 

そのままおばあちゃんに会いにいくことはなく、月日は流れた。

 

これは未だに母親に言えない。

 

おじさん

2020年のお盆の頃の話を親戚としたので、思い出したついでに書き留めておく。

 

高校2年生の頃おばあちゃんが死んだ。

それから今まで長期休みという実感しかなかったお盆という行事を行うようになった。

 

しかし今年のお盆はまるまるバイトをしていた。

その時に見た夢の話だ。

 

家族団欒の中ポツンと1人部屋の隅に男性が立っている。

年齢は40後半くらいだった。

その男性が話しかけてきた。

「色々迷惑かけてごめんな、俺がいれば学費もなんとかしたのに。」

私は泣きながら「そんなことない。大丈夫だよ。」と言った。

ここで目が覚めた。

 

夢にしては鮮明に覚えているのが不思議で、母にこの話をした。

 

母曰く、長女の母が生まれるやく2.3年前、水子がいたそうだ。

きっとその人だろうと。

 

水子は母親につき共に成長するという話がある。

水子になったそのおじさんはおばあちゃんが死に、母についたのだろう。

母は霊感の強い人に、そう言われてから仏壇にお供えするご飯を一つ増やしたそうだ。

 

おばあちゃんが死んでから夢に出てくることがなかったので、そう言った類いの話は信じていなかったが、こう言った出来事があると信じたくもなる。

 

できない人

なにもできない人っているじゃん

そんな人はいないとは言わないけど

結構ダメ人間認定される

 

でも

 

何かするからできないという事実があるのであって

なにもしない人よりよっぽど勇敢な人だと思う

 

今こうしてなにもしない俺よりも

 

まずはなにもできない人を目指そう

 

そのために何かする人になろう

 

そう思った

 

計画性

私はいま非対面授業を受ける大学5年生である。

新型コロナウイルスの影響で、始まった非対面授業。これにはメリット、デメリットがある。

 

あくまで個人的主観だが、メリットはただ一つ自由な時間が作れる。大学への移動時間が減り、非対面授業ということで授業代わりの動画や、課題を提出すればいい。それのみだ。とは言っても自由な時間が作れることにより、バイトをしたり、息抜きの時間にあてたりと、1日のスケジュールをある程度自分で管理できる。

 

そんな中のデメリット。いま生活をしていて感じるのは課題の多さだ。非対面授業が始まってからずっと感じてきたことではある。出席を取るために大学へ行く。これにより成績が決まったりだってする。それがいまやまあ授業課題が出る日々。消化しては増え、消化しては増える。ここで自分の計画性のなさを実感するのである。

 

そもそも私は今までやらなければならないことを計画的に進めてきたことなどない。そんな人間がいきなり計画的に物事を勧められるだろうか。難しいに決まっている。

 

しかし今までなんとかしてきた。今回もなんとかしてやる。そんな軽い気持ちで約13週やってきたあと少しだ。

 

そう思ってた時、課題提出日が重なった。

睡眠時間を0にしても間に合わない。

心は崩れ始める。涙がでる。

やらなかった時間を後悔する。

もう2度とこうはなるまいと

ここで計画性をつけようと決心した。